
早いのかやっとなのか、
[fontsize class=’l’] フリーランスになって1年が経ちました! [/fontsize]
1年やっていけたよ。。。。・゚・(ノД`)・゚・。
正直、1年やっていけるか不安でした。笑
でもこうして1年やってこれたのも関わってくれた方々のおかげです。本当にありがとうございます。
ちょっとフリーランスになった経緯となってからの1年を振り返ってみようと思います。
目次で流し読み
フリーランスになった経緯
フリーランスになることを決意したのは中学生の頃
今でもよく覚えてる。
フリーランスになるって決めたのは中学生の頃だった。
その当時は「フリーランス」っていう言葉は知らなかったし、そういう働き方は今ほど一般的ではなかったけど「パソコン一つでできる仕事をどこの会社にも所属せずにやりたい」が認識だった。
周りの友達や先生に言ったら、何だそれ、世の中そんなに甘くないと言われた。
その頃からホームページ制作を趣味でハマっていたけど、それを仕事にする・Web制作の仕事があるという発想や知識は残念ながら私には無かったw
高校生になってWebデザイナーという職種を知る
ホームページを作るWebデザイナーという職種があることを、高校生になってやっと知る。
最初はびっくりした。趣味でやってたホームページ作りが仕事になるの?!ってドキドキした。
これって、完全にPCだけあればできるやん!っと根拠の無い確信を持つ。笑
でも自信がない私はいきなりフリーランスになるのが怖かったので、まずは2年制の専門学校にいってからすぐさまWebデザイナーになれる会社に就職して数年経験積んでからフリーになろうと。
就活時のリーマンショックの影響が私をフリーランスにしてくれた
私の就活の時にリーマンショックが起きてしまい、弱小企業は次々と倒産していって「内定取り消し」という言葉がニュースで大々的に取り上げられる程問題になった。
私は大阪のWeb制作会社に内定していたけれども、学校の卒業を待つだけの秋ごろに内定先の会社が倒産し内定取消になってしまった。しかも、一方的に封書一枚で。
[fontsize class=’l’]だがしかし、この内定取り消しが私をフリーランスにしてくれた。[/fontsize]
普通、内定取り消しって絶望的な状況。しかも一方的な内定取り消しで封筒だけで電話もなかったし、すでに10月・11月だったからもう新卒の就活は終わってる。
当時の内定取り消しが全国的に問題になったときは、泣き寝入りする人や立ち向かう人などさまざまだったが、私はスルーした。
そして私はこの状況が実は私にとって良いことになった。その理由が3つある。
一つ目は結婚を決めていたこと。
当時付き合ってた今のダンナと学生の頃から結婚を決めていた。
社会人1年間やったら結婚しようと。
だから、私にとって内定取り消しの精神的なダメージはそもそも少なかった。
二つ目は再選択のチャンス。
フリーターでもいいと思っていた私は、再度進路を考えるチャンスがもらえた。
その時に一度就活した経験から自分がフリーランスになれる会社というのを再度探すことができた。
三つ目はその会社を見つけられたこと。
社員0のネットショップ運営会社だったけれども、それが逆にネットショップのホームページ制作・SEO・商品開発・商品デザイン・梱包物の印刷デザイン・ラッピング・商品そのものを製作・お客様対応までネットショップ全てをやることができた。
そして一番の経験は社員0で一人だったから分からない事を聞く人がいなかったから、全部自分で調べて解決していたから検索力・自分で解決できる力が身に付いたこと。
この経験は学生レベルでしか勉強していなかった基礎技術を底から一気に押し上げてくれた。
崖っぷちになると人は力を発揮するというけどまさしくそんな状況で、のろのろ学校で勉強したり資格を勉強するよりもこういう環境にいたほうが何倍も何十倍も技術は上がることを知る。
今思えばよくやったなと思うけど、その時は目の前の事に必死だったからキツイとか疲れたとか感じたことはなかったと思う。
電話対応だけは苦手だったけどw
しかも2年制の専門学校だったから、同じ年の人の誰よりも早く社会人になり誰よりも早く経験を積ませてくれた。
そして、将来は独立を目指してほしいという指針だったこともあって準備は万端になった。
勤めて5年後にフリーランスとして独立
5年経った昨年、フリーランスになることができた。
その間に大阪から横浜への転勤もありつつ、その関東で仕事をくれる人とも出会えたりしている。
内定取り消しといい、ネットショップ運営会社といい、結婚といい、関東への転勤といい、全てが運が良いというか運を掴んでいった感じに近い。
やっぱり周りの人には感謝しかないし、やりたい事に素直に突き進めた自分を褒めたい。
フリーランスになった1年を振り返る
最初の半年の激務に立ち止まる
フリーランスになって半年間は激務でした。
仕事をくれる人がいたから自分のキャパが分からなかった私は貰う注文を全部受けていた。
そしたら激務ですよ。笑
基本納期は短いし、求められるレベルもやはり高くなるし、何よりWeb業界というのはスピードが早くて1ヶ月サイクルで情報が変わっていく。
常に勉強していかなければいけない業界。そして納期とレベルとコミュニケーション、更にはコンサル力まで問われる。
あれ、私ってこれがやりたいんだったっけ?
Webデザイナーを固定のお客さん以外は受け付けないことにした
▽「Web屋辞めました」という記事を数カ月前に書いた。
それにも書いたけど、私はWebデザイナーになりたかったんじゃなくて、時間と場所に縛られない働き方をしたかったんだと。
Webに固執する理由がなくなった。
固定のお客さんがいるから、そのお客さんのWeb制作は受けるけど新規の依頼は一切受けないことにした。
ちなみに前の会社の社長からは、「なんでWebやりたいの?Webサイト制作なんてトラブル産業やん。」とまで言われてしまった。
それは否定しないというか、私もそう思う。
不思議な事に、収入を減らしてでも新規のWeb制作の依頼を辞めたら幸せになった。
何がやりたい?もう一度確認した後半
何でもできるフリーランス。本当はワクワクでいっぱいなはずなのに、いつしかWebデザイナーに固執してしまった私は方向を見失っていた。
そしてもう一度、何がやりたいんだったっけ?って見直すことにした。
人の欲しいデザインを聞いて作るよりも、自分のデザインしたものを良いと思う人に提供したい。
ざっくりいうとこういうことだと思った。
でもこれが簡単にできるなら皆やってるわけで、自分の好き勝手にデザインしたものだけで生計を立てることができるのはごく一部の人。
でも、できない可能性は0じゃない。
これからやりたいこと
じゃあ、収入が減ってでも自分が熱中できることをやるほうが何倍も充実すると思って、ブログをやったりオリジナルデザイングッズを作ったりしてみている。
特にオリジナルデザイングッズの販売は、これから力を入れていきたい。
人から依頼を受けてWebサイトを作るよりも、自分が作ったものを販売するほうが何倍も楽しい。
じゃあそれに素直になろう。中学生の頃に周りから反対されても素直に突き進んだ時みたいに。
もちろん簡単にはいかないけれども、楽しいからやっぱり失敗しても上手くいかなくてももう一度やろうって気持ちが湧いてくる。
あとはどれだけ熱中するかだと思う。
働き方は重要じゃない、好きな事ができてるかが重要
私はWebデザイナーに固執していて失敗したけど、働き方も固執する必要がないことも学んだ。
フリーランスはあくまで一つの働き方で、その内容は常に崖っぷち。収入は不安定だし、コミュニケーション能力も必要。その代わり、時間と場所が自由になる。
会社員は時間と場所を縛られるが、収入が安定していて生活の保障がある。
フリーターも収入は不安定で正社員よりも低いかもしれないけど、好きな仕事で生きていける。
私は権利収入で生活している人、会社経営で功績を残してる人も何人も会ったことがある。
お金があれば充実なのか、好きな人といれるのが充実なのか、生活の充実さというのも人によって違うことも知った。
働き方は重要じゃないんだよね。
何かに熱中してる人は充実している。好きな人といれるだけで幸せを感じる人生も充実している。お金を稼ぎまくって達成感を味わってる人も充実してる。
働き方じゃなくて、今幸せと感じれるのかとか充実してるとか、やりたい事ができてるとかそっちの方が重要なんだなと思う。
仕方なく会社員になってるとしても、自分次第で好きに変えることはできるしそれが嫌だったら探すこともできる。探すという行動をするだけでも充実していくと思う。
ちょっと話はそれたけど、フリーランスになって1年間で私はちょっとは成長できたと思ってる。
これからも自分の好きを実現していきたい。
もっと細かいフリーランスになるときに準備したこととか、保険とか、そういう話も記事に書いていこうと思います!