「水曜どうでしょう 藤村」って検索したらこんなインタビュー記事見つけました。
この記事は12月の日付になっているけど、2015年なのかそれより前なのかは分かりません。
でも、すごく読んでいて勉強になりました。
「水曜どうでしょう」は北海道発の大人気の旅のバラエティ?番組。
大泉洋さんもここから有名になっていったんですよね。
私、水曜どうでしょうが大好きで毎日のようにBGMとして家で流していますw
とにかくこの藤村D(水曜どうでしょうのディレクター)の考え方ってすごい勉強になりすぎる。
「雰囲気」や「場」を作ることを考えてる
『水曜どうでしょう』は、もちろんみんな真剣に取り組んでるんだけど、構えてほしくないんだよね。だから、「雰囲気」や「場」を作ることを考えてるかな。
―「こうすれば面白くなるだろう」と、演出として仕掛けることはないんですか?
藤村:それはないね。あくまで、しゃべりやすい雰囲気や場を作るだけなんだよ。
ディレクター(ディレクションする)という事ができるようになりたいなと思っている私にとっては、これってディレクターの鏡ですよね。
その人の“素”を自然に引き出してあげてるからあんなに面白いのか。
視聴率は気にしていない理由が本質を付いてる
いまは全く視聴率を見ない。意味がないと思ってる。
TVの人なのに視聴率気にしないんだ!って思ったらこういう事でした。
最初はみんな見る、翌週は『リーガルハイ』が拡大してたから時間が被って食われちゃった。「それって内容と関係ねーじゃん」っていうのが俺の中であるからね。そもそも、番組の中身を視聴率で測るっていうことは、今までしたことがないんじゃないかな。
よくよく考えたら、視聴率って学校の偏差値みたいなもので競争的な要素もある。
番組の本当の良さって視聴率で測ることができない。
本質ついてるよね。視聴率で測らないっていうの頷ける。
ファンの言葉の本当の意味を読み取る
最初は新作を作るたびに批判する人が多かったね。「昔と変わってしまった」って。「そんなわけねえ、分かってねえなコイツ」と思うこともあったんだけど、
うんうん、確かにそういう人いるいる。
どうやら昔のファンが「前の方がよかった」って言うのは、新しいファンが入ってくることに対する、ファンとしての立ち位置の問題なんだなと。
「俺は昔から知ってるぞ」って言いたいものなんだと分かってからは、意味がないと思うようになったね。
実際、『どうでしょう』のお祭りをやった時に、ファンが好きな企画をランキングで発表した時も、新作がたくさんランクインしてたしね。昔のはやっぱり下がってた。
そこらへんも分かったから気にしない。
わーーーーー!!すごいです藤やん。
言葉だけ聞いてそのまま受け止めちゃいがちだけど、実はその奥にある本音をちゃんと読み取っている。
これ本当にそうだと思う。
批判の言葉を言う人って、実はその奥に「寂しい」「悔しい」「嫉妬」という本音が隠れている。
もっと言えばきっと、大好きなんだろうなあ、その人の事も自分自信も。本人も気付いてないだけで。
私も書くことをして配信することを増やしていったら、凄い批判まではまだ無いけど「ちょい軽め批判」はあった。
こういう時に「嫌われる勇気」という本を読んでいて良かったなと思う。
その人の「変えたくないプライド」をつっつくと「批判の言葉」を向けてくる。
「毎日嫌々会社に通勤している」という人に、
「なんで嫌な仕事ずっとやってるの?」と言うと、
「何でそんな事いうんですか、仕事っていうのは簡単に辞める事ってできないんですよ。」
みたいな言葉が返ってくる。
これの本音は「本当は今の仕事を辞めたい」と思っている。
そしてもっと奥にある本音は「本当は辞めたくない。だから辞めなくていいような環境を自分で作ってる。」ということ。
(詳しくは「嫌われる勇気」を読めば分かります。)
批判の話しは置いといて、こういう藤やんは本当に凄い。
このインタビュー記事だけでも勉強になることたくさん!
藤やんが執筆してる本もいくつかあるから読んでみよう。
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